雛人形の「親王飾り」とは?
2020年10月07日
〇しあわせな結婚と豊かな暮らしを象徴した雛人形
皆さんは、お雛さまにモデルがいるってご存知ですか? お雛さまは、ある人のある場面を写し取った人形なんです。お雛さまの主役である男雛と女雛の呼び方を思い出してみましょう。男女一対の雛人形を私たちは「内裏雛」とか「親王飾り」と呼びます。「内裏」は帝(みかど)すなわち天皇の住む御殿。現在でいえば皇居にあたります。「親王」は帝の子である皇子をさしますが、天皇は世襲制ですから、皇子はやがて帝になる人。その横に仲良く並ぶ姫君は……と考えていくと、もうおわかりですね。お雛さまは天皇と皇后をモデルにしているんです。
他の登場人物やお道具にも注目してみましょう。親王飾りの一段下に置かれる三人官女が手に持つのは、お正月に神社で御神酒をいただくときに巫女さんが持っているのと同じ道具。神前結婚式を挙げた方も見覚えがあると思います。これは結婚式の「三献(さんこん)の儀」でおこなう三々九度に使う酒器です。さらに、段飾りのお雛さまには、下のほうにお輿入れの輿や御所車、嫁入り道具の調度品が並べられます。そう、雛人形は天皇と皇后の結婚式の場面なんですね。
ちなみに、童謡『うれしいひなまつり』では、「お内裏さまとお雛さま~」と歌われ、男雛=お内裏さま、女雛=お雛さまと考えがちですが、じつはこの呼び方は間違いです。「お内裏さま」は内裏に住む高貴な人を総じてさす言葉ですので、男雛と女雛の両方を言い表しています。「お雛さま」の「雛」は「小さくてかわいらしい」という意味で、雛人形のことです。女雛の別称ではありません。
お雛さまは奈良・平安時代に災厄除けとしておこなわれた流し雛をルーツとし、平安時代の貴族の姫君たちに流行した人形遊び「ひいな遊び(雛遊び)」と融合して生まれました。やがて本来のお祓いの意味合いが薄れ、女の子の成長を祝う風習として広まっていった江戸時代、娘のしあわせな結婚や豊かな暮らしを願った人々は、天下人である天皇と皇后の結婚式を幸福な未来の象徴として、雛人形で表現したのです。
いま人気の親王飾のみのお雛さまやコンパクトな雛人形は、現代のライフスタイルから生まれた最近の流行と思われがちですが、じつは天皇皇后を模した二人だけの親王飾りこそ、雛人形の最初の姿。立雛から座り雛に移行したあとも、お雛さまはしばらくの間、男雛と女雛の二人だけだったのです。
〇金屏風や三宝などお道具にも結婚式のアイテムがいっぱい
雛人形が結婚式の場面である “しるし” は他にも。昔ながらの雛人形では、親王飾りの後ろに金屏風が置かれ、赤い毛せんの上に座っているはずです。
金屏風は婚礼の上座に立てられる屏風で、「二人の未来が光り輝くように」という意味が込められているんだとか。雛人形の後ろに立てれば、光が乱反射してお雛さまを美しく引き立てますね。電気や照明がなかった時代のスポットライトといったところでしょうか。いまは漆塗りに豪華な蒔絵が描かれた高級感あふれる屏風や、美しい和紙や絵絹(えぎぬ)で仕立てられた奥ゆかしい屏風もあり、私たちの目を楽しませてくれます。
赤毛せんはおめでたい席で使われる毛織物の敷物で、赤い色には魔除けの意味があります。段飾りが主流だった時代のお雛さまには赤毛せんが定番でしたが、いまではデザインに工夫を凝らした飾り台が多くなりました。赤毛せんの代わりに朱の漆で塗られた塗り台や、溜塗りに蒔絵が施された豪華な飾り台、ナチュラルな木目台など、おしゃれでモダンな飾り台が豊富です。
親王飾りの両脇には、雪洞(ぼんぼり)や燭台などの明かりが置かれます。なぜ、結婚式の場面に明かりを灯す必要があったかというと、江戸時代の婚礼は夜におこなわれる習わしだったからです。当時の人々にとって、結婚式に明かりは欠かせないものでした。男雛と女雛のお顔が明るく照らされるように、雪洞や燭台は親王飾りの左右に置きましょう。
男雛と女雛の間には、三宝(さんぽう)と呼ばれる台に、徳利(とっくり)のような形をした瓶子(へいし)が置かれ、熨斗(のし)のついた梅や桃の花が飾られています。三宝は神饌(しんせん)をのせる台で、三方向に穴があいています。神饌は神に供える食物のことで、お雛さまの場合、瓶子という酒器がのせられているので、御神酒が供えられているのでしょう。瓶子には、熨斗に紅白の梅や桃の花がさしてあります。現代では、三宝や瓶子、熨斗などをアレンジしたモダンなお道具も増えています。
親王飾りの前には、菱餅や貝桶が2つずつ置かれることもあります。菱餅は桃の節句の行事食で、菱の実入りの白い餅、蓬餅、山梔子(さんしし:クチナシの実)を入れた赤い餅を重ね、菱形に切ったもの。白は雪、緑は新芽、赤は桃の花をあらわし、「雪の中から新芽が芽吹き桃の花が咲く」春の風景を映しているのだそうです。一方、貝桶は貝合わせの遊びに使う貝の入れ物。江戸時代には大名の娘が嫁入り道具として持参したのだそうです。つまり、富の象徴というわけですね。
親王飾りを引き立てる小さな雛道具にも、一つひとついわれや歴史があり、お奥深いと感じるお雛さま。雛道具は雛人形が成熟してから次々と考案されたものですから、お道具が豊富に飾られた現代の親王飾は、原点回帰というよりはむしろお雛さまの進化型といえるでしょう。
〇お雛さまが身に着ける平安貴族の衣裳にも注目
お祓いの「ひとがた」から鑑賞する雛人形へと変わっていった当初は、すべてが男女一対の立雛。他に飾りらしい飾りもない、シンプルな親王飾りでした。はじめはきれいな紙で折った紙雛で、しだいに布製に変わっていったとか。自立することができず、壁に立て掛けるようにして飾ったそうです。衣裳は室町時代の風俗にならい、男雛は小袖の袴姿で袖を左右に広げ、女雛は小袖を前で重ねた細帯姿でした。
「ひとがた」にルーツをもつ雛人形が、立雛から座り雛へと移行していく江戸初期、お雛さまの衣裳にも変化があらわれました。小袖姿の室町装束は、平安朝の宮中装束へと変わっていきます。
平安時代の男性の正装は束帯(そくたい)。冠をかぶり袍(ほう)という上着を着て、笏(しゃく)を持ちます。色や文様にも位によってきまりがありました。「黄櫨染(こうろぜん)」という黄褐色と「桐竹鳳凰麒麟(きりたけほうおうきりん)」という文様は天皇にのみ、「黄丹(おうに)」という黄赤色と「窠(か)に鴛鴦(おしどり)」の文様は皇太子にのみ、許された色と文様でした。一方、女性は「五衣(いつつぎぬ)」に上着である「唐衣(からぎぬ)」と腰に巻く「裳(も)」をまとった「十二単(じゅうにひとえ)」です。髪は「おすべらかし」、前髪の上には平額(ひらびたい)・釵子(さいし)・櫛を付け、手には「檜扇(ひおうぎ)」という木製の扇を持ちました。
この衣裳は、現在も皇室に受け継がれている正装です。2019年におこなわれた令和天皇の「即位の礼」では、天皇皇后両陛下がお召しになった衣裳でもあります。さかのぼれば、令和天皇が皇太子であった1993年に雅子妃とご成婚された際には、黄丹の袍と十二単をお召しになったお二人の姿がありました。
このように、お雛さまには日本文化の美意識がギュッと詰め込まれています。最もシンプルな親王飾りであっても、そのエッセンスは濃厚に私たちの心を動かします。もはや、大きさや数は問題ではありません。お雛さまという人形を通して、私たちは千年を超える日本の風習や日本人の心を体験しているのでしょう。
「モノよりコト」と言われる時代。私たちは買って得るモノではなく、かけがえのない体験をするコトに感動を覚えます。未来に伝えたいのは、雛人形に込められた日本人の思いなのです。